強くなった被害者も対処できないのが、マニピュレーターのモラハラ。

世の中には、『離婚しないモラハラ』と『離婚するしかないモラハラ』がある。



まず『離婚しないモラハラ』の理由って、何だろう?

事情は人それぞれだけど。

主な理由は、子供への影響と経済的自立の難しさ。この二つが、圧倒的に多いんじゃないでしょうか。

離婚はしたいけど、すぐには実行できないっていう現実。



ゆえに『離婚しないモラハラ』の被害者は、

“別れるのにベストなタイミングまで、準備をしつつ乗り切る”とか、

“モラハラをうまくかわしながら先を見据える”

そんな生活にシフトするのが理想なんだと思います。(私も最初はこれを目指してました)



別の言い方をすると。

『離婚しないモラハラ』っていうのは、なんとか対処できるモラハラなんだと思います。





で、なぜこうゆう言い方をするかというと、私の場合はその猶予もなかったからです…。

気付いた時には、『離婚するしかないモラハラ』だった。

自分では対処できるほど強くなったつもりでも、問題はそういうことではなかった!



それで予定外に早めの脱出をすることになり…

そりゃあ今までと比べれば生活は大変だったけど、なんとかなるもんですね^ ^

今でも、早めに別れたのは最善の選択だった!と胸を張って言える。



モラハラの詳細は過去記事にも書いたけれど。

更に経過した今だから、自分の身におこったことが色々と明確になってきました。



“ どんなに被害者が強くなっても、対処できないモラハラがある。”

それがどういうものか、お話したいと思います。

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“いつ別れるのか…今でしょ!” 別れる決め手となった、危険な状況。




この懐かしいタイトルどうよ!って意見があるかもしれないけど^^;…決してふざけてるわけではありません。

時に『惰性は危ない』と言いたいのです。



分かりにくいモラハラ家庭とは、一見何の問題もない仲良し家族です。

暴力などは論外、基本的には暴言もありません。

パフォーマンス性の高いモラハラ夫は、時に人前で、絵に描いたような幸せな家庭を演出します。



でもそれは、被害者ただ一人の犠牲のもとに成り立っているのだけれど…それを誰も知るよしはありません。

そんな、傍目からは問題のない家庭を壊しても、私が別れることを決行したのには、どんな背景があったのか。

それを見ていきましょう。


息子が加害者になる可能性への恐れ



”息子をモラ夫という毒親から離したい…。

そうでなくとも、3人のこの生活を続けることはやめないといけない。”



決心の決め手となったのは、何よりも、息子が加害者(モラ夫2世)になることへの怖れでした。

これについては別記事でも言ってるけど、私にとって最大の不幸があるとすれば、このこと。私の人生に、あってはならないこと。



モラ夫は息子を、男の子であっても「花よ蝶よ」で育てた。

なぜここまで?ってくらいの、子供への強い執着心。完全子供第一主義。

(詳細1⇒マニピュレーター・モラ夫の実態~過保護と過干渉とモラハラと~)

(詳細2⇒息子が暴力を振るうようになった経緯と、溺愛するモラハラ夫の心理)





幼い頃からの息子の癇癪は、我慢が苦手ということの象徴。

それは当初からの私の不安どおり、中学を前に暴力という形に発展した。

モラ夫との別居後、母子家庭になってからのことだった。

それでも思うのは、”あのまま三人で生活していたらもっと大変なことになってたんじゃないか”ってこと。





「このままではダメだ」腹をくくるきっかけとなったのは、やっぱりあのこと。

まだかろうじて、暴力じゃなく癇癪と言える年齢の頃…。息子が私を蹴ったことがあった。



その時の息子へのモラ夫の対応に、絶望とともに呆れかえってしまったんです。


(モラ夫の言葉)



「……腹が立つのは、(人より)頭がいいからなんだ。

怒りはムリに抑えなくていいけど、暴力は抑えないとね。」



参考:自己愛性人格障害に特有の思考。『特権意識』とは?



「これがモラ夫2世を作りあげるということだ」

この時私ははっきりと、そう確信した。




”狂った規範” の家



極端な子供第一主義の家庭では、子供の要求に対して歯止めがない。

ただしそこはマニピュレーターなら、自分には負担がかからないように、ちゃんと調整はする。

それは、怒らせると怖いという威厳を持ちながらも甘やかすという、コントロールに他ならない。

逆に妻には、いくら負担がかかってもいいのだ。





“この家は狂っている・・・” そう感じた出来事があった。

離婚を視野に入れ、気丈な私になった頃のことでした。



その日も友達の家で遊ぶ約束をした息子は、「(夕方)6時に迎えに来て」と私に言った。

その時期の薄暗さもあって、私は前日も夕飯の支度のさながら、息子を迎えに行っていた。



しかし、毎回そうゆうわけにもいかない。家族には家族の、母親には母親の都合というのがあるのだ。

「それだとママは大変だから、暗くなる前に一人で帰ってきてね。」



健全に育てられた子供なら、ふて腐れながらもあきらめるはず。

しかし息子の場合はそうはいかない。まだまだしぶとく、要求を繰り返す。



ここで、自室にいたモラ夫が登場。

(ヤツは私にとっては邪魔くさいだけの、“息子のいつもの救世主”だ。)



「じゃあパパが迎えに行ってあげる。」その一言で、一件落着。

こんなことが、息子が物心つく頃から、くり返されてきた。

我慢を知らない息子はどうなるんだろう…いつもの不安がよぎる。



その時、思わず私の口から出た言葉があった。



「それって、当たり前のことじゃないから。

何でもゆうこと聞いてくれる親なんてめったにいないんだから、

ちゃんとありがたいと思いなよ!」



息子とのやり取りに疲れていたのと、モラ夫へのちょっとした嫌味がこもってたのとで、言い方がやや荒々しかったのは、自分でも覚えてる。





しかしそこで、すかさず揚げ足を取るのが、マニピュレーター。

モラ夫は言う。



「ママひどい、その言い方はないわ〜!

その言葉、子供に愛情のある母親の言葉とは、とても思えない。

そのうち、〇〇(息子)に全く当てにされなくなっても知らないよ。

ねえ、〇〇…」





そして、私は悟った。

”この家には規範がないというよりも、あべこべになっている……狂ってるんだ!”


《ここで言う ”狂った規範”の家とは…》


・ 最低限の規範をおしえようとするのが悪い親で、何でも子供の要求を通すのが良い親

・ 子供の自立を願うのが悪い親で、子供にさせないで何でもやってあげるのが良い親




そんなおかしな最小単位の社会が、一人の子供を巻き込んで、出来上がりつつあった。






どんなに被害者が強くなっても、対処できないモラハラ。



以前、【モラハラ対処】として書いた記事があります。

対処できなくて別れた私が、なぜ対処の記事を書いたか。



それは、モラハラ夫への反応・対応という意味での対処はできるから。

モラハラを重く受け止めないことや、言い返し方については、ある時期からやっていたことだからです。



でもマニピュレーターのモラハラ場合、問題は加害者と被害者の1:1ではない。

彼らのやることはターゲットの周りの人間関係を巻き込んでの、本当の意味での支配なのだ。それは、被害者が強くなろうが関係ない。

それよりもむしろ、強くなればそれを更に利用して悪者に仕立てる。

(参考:マニピュレーターという人格は、ターゲットを悪者にする天才)





人は相手の攻撃には対処できるが、コントロールには対処しにくいものです。

息子を溺愛するのだって、コントロール。

加害者体質は、被害者体質よりはるかに、克服が難しい。

まさに、「自己愛性人格障害は自覚がないから治療は困難」と言われるとおりだ。





では結論として、以下に。

『どんなに被害者が強くなっても、対処できないモラハラ』とは?   


子供が加害者体質になるもの。

● 手法が攻撃でなくコントロールによるもの。

加害者の目的は、被害者の人格否定を超えた完全な支配。すなわち被害者の孤立




まだ日本ではあまり知られていませんが。

このタイプのモラハラをするのは、ただ単に自己愛性人格障害というよりは、

マニピュレーター(潜在的攻撃パーソナリティー)の人格であることに、他なりません。






おわりに…。道はある。




今の私は、一般的な視点から見れば、”可哀そうな母親”かもしれません。

(参考:はじめに(プロフィール)



でも、負けに見えて、負けだとはぜんぜん思ってない。

だいたい人生は勝ち負けではないし、「損して得取れ」じゃないけど。(超勝気なモラ夫は、その観点が完全に欠落している)



なぜなら、こうゆう現実を作った自分の問題点が明らかになったし、それだけじゃない。

今までの生きづらさ、そして自分の本当の幸せが何かってことも分かった。



だから息子には、一緒に暮らしてなくとも親としてできることがあると思ってる。

それは、いつも楽しそうに生きてる母親であること。

いつも、どんな道も、どんな方法もあると思うんです。



息子にとっての、一つの生き方の指針になればいい。

そのためにも、もう人の犠牲になるような生き方だけはしないと決めている。

大体、人に尽くして自己満足ってゆうのも、エゴだからね。



というわけで。

今後は自分のやりたいことだけをやらせてもらって、

それで人に『ありがとう』って言って、生きていくつもりです^^





最後までお読みいただき、ありがとうございました!