メランコリー親和型性格の偏った思考グセと、ちょっとスピリチュアルな話。

メランコリー親和型性格の特徴は、生真面目で頑張り屋。

自己犠牲の精神も、持ち合わせる。

“心の豊かさへの要求” は人一倍高いけど、どうも自分に自信が持てない。



また秩序や道徳を大事にする人は、『良い言葉』をも大事にする。

ことわざ、格言、名言など。

良いものは、いくらでも自分に取り入れたいと思っている。



でもここで、注意したいことが。

メランコリー親和型の人には、偏った思考の癖みたいなものがあるんです。

(こちらの記事がいい例です→『人間万事塞翁が馬』にまつわるエピソード)





実は、今回の記事を書こうと思ったのにもワケがあって。

またもや、気づいてしまったんですよね・・・以前の自分の間違いに。



どうゆうことかと言うと。



最近、“ある言葉” に対する自分のとらえ方が、

以前とは全く変わっていたのに気が付いたんです。



ちょっと驚いたんですが、この変化は良かったと、しみじみ思いました。

と同時に。

かつての自分の姿が 、まるで修行僧(しゅぎょうそう)のように見えました^^;



そんなわけで、今回は。

メランコリー親和型だった私の『偏った思考の癖』がどんなものかを、見ていこうと思います。

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『幸せは外にあるんじゃない。自分の中にある。』に対する誤解



そうなんです。“ある言葉”とは…



『幸せは外にあるんじゃない。自分の中にある。』



この言葉、一度は聞いたことがあるんじゃないでしょうか?

私がこの言葉を聞いたのは確か、15年以上は前のはず。



解釈は色々あっていいと思うけど…みんなはどう解釈してるんだろう?

その当時の私の解釈は、こう。





不幸な人って、その原因が自分の外側にあると信じてるよね。

お金、立派な家と車、地位や肩書き、パートナーや家族、自分を支持する人達…。

で、これらの条件を満たせば幸せなんだと思ってる。

そんな人達って何かでつまずくと、全部周りのせいにして自分は不幸だと言う。



彼らは、反省を知らない人達なんだろうな。

うまくいかないのは自分にも原因があるから、きちんと向き合って乗り越えるべきなのに。

反省と努力で自分を成長させることが、幸せに繋がるのに。

幸せって人に求めるものじゃなくて、自ら作り出すものでしょ?



それと、感謝する心。ありがとうの精神。

(一昔前にスピリチュアルな人達の間で、“ありがとうシール” が流行ってましたね^^)



な〜んて、ずいぶんと偉そうに思ってたわけです。

(ちなみに、上記で言う“不幸な人”って、今思えば自己愛性人格障害のことだ!

当時はその呼び名すら知らなかったけど。)





こうして見ると、昔の私の解釈も、決して間違いではないんですけどね。

でもやっぱり努力とか反省って言ってる時点で、ちょっと偏ってるんだと思います。

「自分の成長こそが幸せ」みたいなことを言っちゃってる。

それって裏を返せば、自己肯定感がない。自分を認めてないってことでしょう?

「これだから、自己愛者に利用されるはずだわ…」って思わずにいられない。



それから、ありがとうの精神はもちろん大事。

かつて、とある自己啓発本を見て、1日に何度も心の中で 唱えたことだってある。

“ありがとうありがとうありがとう…” ^^;



それ自体は、良い波長(波動)をもたらす気がして悪くないんだけど。

どうもいまいちパッとしないのは何故か?



その答えは…

『それよりももっと大事なことがある』ってことのようでした。




『幸せは外にあるんじゃない。自分の中にある。』の本当の意味




以前の記事の中でも、既に同じようなこと言ってますが。

ここでは、もっと気軽に話しますね。



”幸せが自分の中にある”ってことの、本当の意味。

それは、努力とか反省とか、そういうことじゃなかった。

そもそも「もっと人間的に成長しなければ」と思うこと自体が、筋違い。

(オリンピック選手を目指すというような話ならともかくね)



結論を言うと。

“幸せは自分の中にある” の本当の意味は、


『自分の本質のままで生きること。その本質を表現すること。』


でした。





それで分かったのは、ありがとうを唱える前に、まずやるべきことがあるってこと。

それは、断捨離

捨てるものは、自己否定、古い価値観、“人にこう見られたい”というエゴ

それこそが、自分の本質、ありのままに生きるってこと。



今までの私は、世の中に自分を合わせて、自分の本質を無視してきたんですよね。

つまり、“世の中仕様”の自分。

今では、“完全自分仕様”の自分。 ^ ^





大事なものを失って一人ぼっちになり、何で自分がこんな目に遭うのか、ぜんぜん納得いかなかった。

でも、だからこそ、開き直った。

「バッキャロー!もう好き勝手に、何だってやってやるゼ。」



そうやって暮らしてたら、本当の自分の望みや喜びが見えてきた。

実現はまだこれからだけど、確実に “向かってる感” があります。

(関連:メランコリー親和型におすすめ。大木ゆきのさんのブログ。)





例えば、「ありがとうの波動」や「引き寄せ」なんかもそうだけど。

良いものを取り入れる時、まずはその空きスペースを作ることの方が重要だったんです。



いくら願っても実感できないのは、そもそもの受け皿がなかった。

あるいは小さ過ぎた。

だから、何より断捨離が重要!



って、

毎回不燃ゴミ出しそびれて、何ヶ月も部屋に放置してる人が何言ってんだか…^^;






おわりに



メランコリー親和型性格の人は、前世が修行僧だったの?って思うくらい、

厳しい状況下で自分を高めようとするのはなぜなんだろう。



そんな人達にとって、美徳を含め『良い言葉』とは、まるで魔物のよう。

メランコリー親和型傾向の解釈では、自分を追い込んでしまいがちだからです。



そこに気をつければ、良い言葉は、私達の味方になってくれる。





でも最終的に思うことは、私たちはむやみに「徳を積もう」なんて考えなくていい。



どうやら私達に必要なのは、大人になることではなく、

わがまま(素直)になることのようでした。





そうゆう生き方にとやかく言ったり、足を引っ張る人間がいたら、離れるのが一番。

とは言っても、簡単には離れられないのが現実でしょう。

モラハラへの対処は、一番に子供への影響を考えつつ、いかにモラハラを抑えるかということに尽きるでしょうね。



とにかく言いたいのは、

メランコリー親和型(被害者全般)には、本質のまま、ありのままに生きる権利があるってこと。

秩序を愛する性質なら、尚のこと。

誰かの踏み台になってまで頑張る生き方など、まったく必要ないですから!



以上。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました☆

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