モラハラを引き寄せないために。『好き嫌い』のススメ。

突然ですが。

あなたは、『好き嫌い』がハッキリしているほうですか?



以前の私はかなり、好き嫌いが少ない人でした。

そもそも「好き嫌いがあるのは良くない!」と思って、生きていたので。。

食べ物の好き嫌いはほとんどなく、人の好き嫌いも少なかった



そんな私がモラハラを経験したことで、この性質が危険なのだと分かりました。

そう。この性質は、自己愛者を引き寄せやすいのです。

それ以外にも、この性質は、その人の人生に大きな影響を与えている。



というわけで今回は、好き嫌いのススメ。

好き嫌いをしない人が幸せになれない、そのわけについてお話します。



まずは、こういった人(→私)の、心理面から見ていきましょう。

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『好き嫌いをなくそう』とする心理



以前の記事でも書いてますが、メランコリー親和型の特徴は、『〜べき』『〜でなければならない』と考えること。

その中で、『好き嫌いはいけない』という、行き過ぎた思考の例を載せています。

(参考:メランコリー親和型性格の人の『盲点』とは?)



そもそも、この思考がどこから来ているか。

私の幼少期からの、心理傾向を探ってみました。





①親に認められたい

私は、食べ物を筆頭に色んなものに対して「これは嫌い、あれが好き」などと主張することは、あまりありませんでした。

親が、赤ちゃん〜幼少の自分を「手のかからないおとなしい子だった」と言うように、内向的で従順なのは生まれつきでもあったよう。

そして、明るく奔放で周囲を楽しませてくれる姉に対し、地味で子供らしくない自分は、(姉より)道理の分かる子供として親に認められたいと思っていた。

というのは、子供ながらに、色んな面で “姉に勝ち目はない”と思っていたから。

何というか…自分は自分なりに、注目されたかったんでしょうね^^;







②平和主義、理想主義

子供の頃から自分の中で描いていた理想の世界は、”皆それぞれが、好き同士” の世界。

嫌い合う者同士がいなければ、この世界は至極平和なんだろうと思った。



でも、宇宙の摂理から言って、こんなこと絶対ありえないんだけどね^-^;

全ては陰と陽。互いに相対するものがあって、世界は成り立っているのだから。



ところが若かりし頃の私は、その理想が全くもって実現不可能とは、思っていなかったのです。

『人は皆同じ(人類みな兄弟、みたいな)。最初から悪い人はいなくて、どんな人も話せば分かり合える。』

これが信条みたいなところが、あった。



だから、人を嫌いになりたくない。

そして、自分も嫌われる人になってはいけない。万人に好かれないといけない。

絶対に、人を傷つけたくない。

それらの思いが、『好き嫌いをしない人』を作り上げたのでした。





とは言え・・・。

このような心理=価値観で生きていた私は、今思えばいろいろと生きづらかった。

モラハラに遭ったことは、その総仕上げとい言っていいでしょうね^-^;

それではいよいよ、本題に入りたいと思います。






『好き嫌いをしない人』が幸せになれないわけ




先ほどの繰り返しになりますが、

ここで、私がどんな人間だったかを再確認。





①の “親に認められたい” というのは、自信のなさを表しています。

それは言い換えると、内向的で引っ込み思案であるがゆえの、自己肯定感のなさ。

この自分ではダメだ。姉のような人間が、正解なんだ。

世の中では、外向的・社交的でないと幸せになれないんだって、信じてました。





②については生まれつきなのか、理想主義・平和主義の偏った思想。

『嫌いな人をなくし、自分は万人に好かれないといけない』という思い。

『人として、いつも正しくないと』っていう思い。





では、こういった思考性が、どのように作用するのか見ていきましょう。






⒈ 自己愛の強い人を引き寄せてしまう



かつての私の人間関係を端的に言うと、『来るもの拒まず、去るもの追わず』がピッタリくる。

“とにかく人に好かれたい人” なので、誰でも受け入れてしまうところがあるのです。



ではここで、モラハラ被害者となった私の恋愛傾向について。

かなり昔の話で恐縮なんですが、若い時、人並みにモテたことが(超一時的に!)ありました。

好意を示してくる相手を次々と好きになり、かなり悩んだことがあります(随分安い女…)。

自分はおかしいんじゃないか、なぜこうなんだと考えたけれど、その時はわかりませんでした。

後で分かったその答えが、『自分に自信がないから』。

実は自分は、自分のことを全然好きじゃなかったんですね。



こうゆう人は、自分のそんな部分を埋めてくれる相手を欲しているのです。

そこに基準を置くがゆえに、ストライクゾーンが広いのです。

これは相手に対し、冷静な目を持てていないということ。これでは危険な人まで引き寄せてしまいます。

ことさらモラハラ男というのは、最初はすごく優しいので・・・。






⒉ 嫌われることを怖れ、本当の自分が出せない



人と付き合いを深めていけば、相手の嫌な部分だって見えるはず。

でも、とにかく人に好かれていないとダメな私は、そんな時でも目をつむってしまう。

ヘタに突っかかって、小さい人間だと思われたくないから。

この何かとやっかいな、『大人な自分』を崩さないようにする傾向。

いつも大人であろうとするのは、そうすることで自分は次元が高いと思えるから。

(本当はそうじゃないのにね!^^;)。

だから本当の自分は抑圧されるんだけど、その時は気付かずに、満足しちゃってたりする。



それに。

一般社会の中で、こうゆう人は確かに嫌われないけど、別段好かれるわけでもない

その場では感謝されることはあっても、真に愛される人とは違う。



そして極めつけ。

こうゆう人はヘタをすると、都合のいい人間に軽視されたり利用されるのだ。

これが、モラハラに遭うということなんだと思う。






⒊ 自分の “ 好き!”が、分からない



好き嫌いをしない人は、嫌いなモノは少ないけれど、別段好きなモノも特になかったりする。

ずっと続いている趣味や、考えただけでワクワクするような好きな物事は、それまで私の周りには、なかった。



これは、“ 敵は少ないが味方も少ない”、というのに似ている(逆もその然り)。

どうやら世の中、“敵はいなくて味方ばかり” というわけには、いかないみたい。

つまりは、どちらも両方あって、バランスがとれるってことなんですね。





ところで。

私はモラハラを通し、人生において「とても理不尽な経験をした」と思っています。

そして人生で初めて、こんなにも人を憎んだ。



おそらくこれまでの自分なら、親の価値観に習い、『憎しみの感情は良くない』って抑えこんでたでしょう。

でもこの段階ではもう、『嫌うこと』『憎むこと』『怒ること』を自分に許可した。

(モラハラは当事者でないと、なかなか理解できない。)

そして、思いっ切りこの感情を味わった。

すると意外に、後はスッキリ。

相手を完全に許したってことではないけれど、当初の憎しみはずっと続いてはいない。



更にはこの負の感情には、“意外な特典”が付いていたようでした。

と言うのは、この時以降、反対の“正の感情”のほうがハッキリしてきたのです。

つまり、自分の本当に好きな物、好きな人、好きな価値観が、浮き彫りになった。

それって、すごくhappyな気分になれること。



そして、大事なことに気が付いた。

人生は、とっても嫌いなモノと、とっても大好きなモノ、両方あるから楽しいんだと。

どっちかだけの世界は、ありえない。

私の長きに渡る理想主義とは、おさらばだ!^ ^






まとめと補足



では今一度。

モラハラを引き寄せないための、ちょっとした心得。

私が『好き嫌い』を勧めるに至ったポイントを、以下にまとめます。


『好き嫌いをしない人』が幸せになれないわけ


⒈ 自己愛の強い人を引き寄せてしまう

⒉ 嫌われることを怖れ、本当の自分が出せない

⒊ 自分の “ 好き!”が、分からない








そして最後に、補足。





1の『自己愛の強い人を引き寄せてしまう』に関しては、何も異性に限ったことではありません。

それは、別記事からも分かるとおりです^^;

(参考: 自己愛性人格障害がターゲットに向ける『羨望・嫉妬・破壊』の具体例)





2の『嫌われることを怖れ、本当の自分が出せない』については。

現在の私は、以前のように人に好かれたいという気持ちはありません。

どっちでもいいというか…執着がないですね。

自分がちゃんと、自分を好き(って言うより、受け入れている)だからでしょうか。





3の『自分の“好き!”が分からない』に関しては…。

私の場合、それまで避けていた『嫌う』『怒る』感情を許すことで、これまでの“縛り”が解けたんだと思います。

本当の自分の価値観というものが、露わになった。

そこに、他人の目はありません。

楽しいコトに人との「共感」は付きものですが、「共感」とは関係なく好きなモノって、誰でも絶対ある。

それがあると、人生楽しくなる。

自分の価値観がエゴからくるものでないのなら、好きも嫌いもOK!そう思います。





補足は以上^ ^

今回も、最後までお付き合いありがとうございました。

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